木になるデザインについて(自己紹介)
ようこそ、
ここは、木製生活雑貨の製造販売をしております、[ 木になるデザイン ]のホームページです。
木工を工芸品として特別扱いするのではなく、かと言って、あっさり捨てられてしまう粗雑な製品でもない!
日々の生活の中の必需品としての地位(機能)を保ちつつ、わずかながらでもゆとり(感性)を与えてくれる、、、そんな物作りをしたいと考えています。
おいたち
つきましては
作品紹介よりは先ず自己紹介、と思い
生い立ちから現在に至る僕自身の製作過程を書いて見たいと思います。
幼少のころ母に手を引かれて、欄間(ランマ)の製作をしていた母方の実家に行くと、そこには大小さまざまな木片・竹片が有った。
祖父や叔父たち職人が、まるで銭湯の洗い場の様に、壁に向かってそれぞれの持ち場で組み立て作業していた。
僕はその背中で木っ端を集めて、空いている末席に陣取り、船や飛行機を作った。
船は浮かんだが、飛行機は飛ばなかった。
中学の頃は模型飛行機が流行った。
組み立てキットを飛ばす友人たちが多い中、バルサの板材から材料を切り出して組み立てる、自作に熱中した。
自作と言っても、設計は雑誌の記事などの作例を真似た。
けれど、初号期、2号機、3号機、、辺りから、次第に自分なりの要素が混まれてくる。
形状とか、構造的にも。
進学は航空宇宙学科を目指したがあえなく挫折。浪人中にしたアルバイト先の影響からインテリアデザインの世界に舵を切った。
就職は戸建て注文住宅の内装やキッチン・収納などを計画し工事まで請負う仕事についた。
7年後に独立開業。
顧客の要望を汲み取って形にする仕事であり、それなりに工夫の要る有意義な仕事ではあったが、
バブル期前後、我が国のインテリアは模倣と切り貼りの世界で、およそデザインと言うには程遠かった。
極端な例では「この写真のイメージを、この間取りで・・・」と言われた。
もちろん、それはそれで完成した時の御施主様の笑顔にやり甲斐を感じたが
「どこか、何か違う」と感じる自分もそこに居た。
そんなギャップがやがてストレスとなって蓄積した50代
たまたま知った手作りECサイト [minne] に、在庫の端材から作ったスタンドを出品したところ、これが売れた。
当初はとても採算には合わなかったが、それでもオリジナルのデザインで物作りができるのが嬉しくて続けた。
続ける以上採算ベースに乗らなければ意味がない。独学で悪戦苦闘しつつも、次第に自分の木工が見えてきた。
今ふたたび木になる。それが僕のたどり着いた場所。
僕の木工
↑と言う様な経緯を経ていまして
いわゆる師従関係、見習い期間、修業時代も無い、大袈裟に言えば独学的な木工なのです。
どうしたら接合部の強度を保つ事ができるのか?
こんな風に加工に角度をつけたら面白いんじゃないか?
僕なりのそうした試行錯誤の上たどり着いた答えが、
実は昔から存在する「仕口」とか「意匠」だったりとか、、、今更?の発見もあったりして、
そんな先人たちの匠の技を感じつつ、
21世紀現代のデジタルツール、新素材を駆使して、
新しいフォルム、新しい素材感などを生み出せたなら、こんな楽しい木工は無い!
って思いでデザインしています。
学生の頃(バブル期以前)、恩師によく言われた事が今も僕の根底にある。
それはデザインの三つの要素、すなわち
1、審美性 2、機能性 3、経済性
を、与えられた条件下で最適解を求める・・・それがデザインと言う作業なのだと。
この教えは今も僕のデザインの呪縛。
だから僕にはいつまでたっても越えられない一線があります。
しかし、同時それは守るべき僕の世界でもあるのです。
だから、もう一度最後に言わせてください。
木工を工芸品として特別扱いするのではなく、かと言って、あっさり捨てられてしまう粗雑な製品でもない!
日々の生活の中の必需品としての地位(機能)を保ちつつ、わずかながらでもゆとり(感性)を与えてくれる様な物作りをしたいと僕は本気で考えているのです。